あの日の話

うたうように話す。

暦にたすけられる、という感覚を知った時があった。

 

 

1年365日。

◯月◯日、それはある人にとってはただの数字の羅列で、

ある人にとっては去年と違わぬ平穏に感謝する日で、

ある人にとってはまたひとまわり大きくなった我が子の手を握りしめる日で、

ある人にとっては、海の向こうに祈りを捧げる日だった。

 

 

忘れたくないことも、忘れたかったことも

必ず思い出す日。

 

 

暦がなければ、私たちは記憶を暑い砂漠の上に落として、そのまま前に突き進んで、冬になれば雪が覆って見えなくなって、やがてそれが何だったのかも分からなくなっただろう。

分からなくなりかけてから知るのだ。それがどんなにこわいことか。

 

 

暦がいつも、落とした記憶の居場所を知らせて、拾いに行かせた。

 

 

拾いに行くことで、

何度も何度も懲りずに拾いに行くことで、

喜びは愛情に、

痛みは強さに、

過去が永遠に、変わってゆく。

 

 

そうやって生きてきたし、生きてこられた。

今年もまた。来年も、また。